住民運動 弁護士/井関 佳法

住民運動とは

 大型の開発や建築、あるいは公害による被害など、ある地域の住民が集団で被害を受けるケースがあります。そのような場合、住民が力を合わせて、問題を明らかにし、それを阻止したり、被害回復の取り組みを行います。それが、住民運動と言われているものです。
 住民運動では、団結をいかにかちとるかという難しさと、逆に団結して運動を展開したときに想像を超えるエネルギーがうみだされるというダイナミズムがあります。事案によっては、土木建築、環境、医学など科学的専門家の力を借りることが必要となります。
 この間事務所で取り組んできた住民運動を、2件ご紹介します。


醍醐北端山開発反対住民運動

 醍醐北端山は、山科盆地と滋賀を隔てる音羽山山系山麓に広がる閑静な住宅地です。この音羽山の山裾を削って、特別養護老人ホームを建設するとの計画が持ち上がりました。削り面は高さ11mにも及び、かつ独自の擁壁は造らず、老人ホームの建物自体を擁壁とするとんでもない計画でした。
 安全性を心配した地元住民の皆さんが、国土問題研究会に意見を求めたところ「取り返しのつかない事態が起こるのではないかと危惧される」との指摘を受けました。その理由は(1)地盤が極めて軟弱であること、(2)過去に崩壊・土石流を起こし、現在も小規模な崩壊を起こしている、(3)地下水対策・土留め擁壁の設計がずさんである、などでした。
 この場所は、開発規制の関係で開発できなかったところ、老人ホームであれば開発規制の対象外とされるため、土地所有者の観光会社が社会福祉法人を設立して開発を計画したのです。1985年には、長野県地附山で大規模な地滑りがあり、山麓の老人ホームで26名が亡くなって、「現代のうば捨て山」と問題になっていました。
 地元住民の皆さんは、命を守るため、危険な開発を許すわけにはいかない、と自治会ぐるみで立ち上がり反対運動を進めました。地元住民は、市議会に陳情、請願を繰り返しましたが、国が6億8000万円、市が8億9000万円の補助金内示をし、さらに開発に向けた手続きも進められました(宅造許可、建築確認)。これに対して、地元住民の皆さんは、国土問題研究会に専門調査を依頼し、現地視察を経て前述のとおり中間報告を得、開発に向けた手続きに対しては審査請求を申し立てました。私たち弁護団は、主にこれらの手続きを担当しながら、運動全般の相談にものることになりました。
 地元住民の皆さんは、最後まで自治会として反対運動を行われるなどよく団結され、また例えば建築審査会の公開審査などがありますと、貸し切りバスを連ねて100名、120名が参加されるなど、本当に多数の方が実際に運動に参加されました。弁護団も、手続きの欠陥をついて建築確認を出し直させるなどの成果を挙げ、こうした取り組みの中で、計画の危険性が市や国に認識されるところとなり、補助金が凍結され、計画を断念に追い込んだのです。
 住民の皆さんの団結と頑張りに、国土研の科学的な知見、それに弁護団の努力もうまくかみ合って、崖っぷちからの逆転勝利となりました。



大岩街道周辺の産廃焼却問題

 当地が産廃の埋め立て処分地とされたのは、1972年12月15日にさかのぼります。大量の産廃が運び込まれ、最初の4年で高さ59m、容積120万m3の産廃の山(通称岡田山)ができたと言われています。さらに、この地で産廃の野焼きが行われるようになり、その業者数は、78年3業者、86年12業者、96年30業者と増加の一途をたどりました。周辺は閑静な住宅が広がっており、ダイオキシンなど健康被害への不安が渦巻き、環境被害は30年余継続する筆舌に尽くし難いものでした。
 当初から、地元住民の皆さんは、住環境を守るために、陳情、請願などの取り組みを進めてきましたが、99年2月「深草の環境を守る会」を発足させ、運動を一気に本格化させました。研究者や弁護士も参加しての取り組みが進められるようになり、学者との勉強会をする、その成果をシンポジウムを開催して市民にも知らせ、弁護士会の公害対策環境保全委員会へ調査依頼を申し立てました。マスコミがこうした旺盛な活動を取り上げるようになり、それを見た多くの人が現地を見に訪れるようになり、大学生や司法修習生も何度も多数足を運んでくれています。
 運動と世論の圧倒的な盛り上がりの下で、京都市や警察も重い腰を上げるのですが、徹底的な取り締まりをしようとしません。そこで、2002年10月29日、725名が名を連ねた告発状を提出し(最終的には784名)、これをてこに、業者を逮捕し起訴させる取り組みをやりきり、違法操業の根絶に大きく前進することができたのでした。
 大岩街道周辺の産廃焼却問題は、極めて長いたたかいの蓄積の上に、「深草の環境を守る会」を組織して、学者や弁護士も巻き込んで全力で走り、マスコミを巻き込んで一気に圧倒的な運動を創り上げて問題解決を図ったものでした。
 すべての焼却炉を撤去させ、岡田山そのものをも撤去してしまうという最終目標実現のため、運動は最後の詰めの段階に入っています。
(2006年1月記)

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