メンバーの素顔紹介 杉山潔志

菟道稚郎子の皇位譲り

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 宇治川右岸にある仏徳山の西側の山裾には、世界文化遺産の宇治上神社がある。本殿(国宝)は、覆屋に内殿三社が並立して収まる構造で、1060年に建築された現存する日本最古の神社建築である。本殿には、中殿に応神天皇、左殿に菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、右殿に仁徳天皇が祭神として祭られている。
 古事記によれば、応神天皇(品陀和気(ほむだわけ)命)は、軽島の明の宮(現、奈良県高市郡)にて統治を行い、10人の女性と結婚して、男王11人、女王15人をもうけた。中でも、高木の入日売命との間に生まれた大山守(おほやまもり)命、中日売(なかつひめ)命との間に生まれた大雀(おほさざき)命、宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ)との間に生まれた宇遅能和紀郎子が有力であったが、天皇は、宇遅能和紀郎子を愛し、大山守命には山海の政を、大雀命には天下の政を、宇遅能和紀郎子には皇位を承継するよう約束させた。古事記の応神天皇の章には、矢河枝比売の項があり、応神天皇が木幡村(現、宇治市木幡)で矢河枝比売を見初めた様子が記されている。応神天皇が崩御した後、大山守命は、天下獲りを目指して兵を募った。大雀命の密告によって事態を知った宇遅能和紀郎子は、兵を宇治川に潜ませ、渡河しようとした大山命軍に反撃した。大山守命は宇治川に落ち、矢を射掛けられて流され死亡した。その後、大雀命と宇遅能和紀郎子は、お互いに天下を譲り合って幾多の日を経たが、宇遅能和紀郎子が亡くなり、大雀命が仁徳天皇として天の下を治らしめしたとのことである。

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 しかし、大雀命と宇遅能和紀郎子が皇位を譲り合ったという記紀の記述に疑問を投げかける研究者は多い(岡本望「やさしい宇治の歴史」、築紫巧「風はささやき地は叫ぶ」など)。古墳時代は、多数の渡来人が日本に来て新技術をもたらし、灌漑設備など大規模な開発によって農業生産力が増大した時代である。高木の入日売や中日売は、増大した農業生産力を持つ河内の豪族の娘(姉妹)であり、山背の国も栗隈の大溝(くりくまのおおうなで)などによる灌漑農業によって河内に対抗する農業生産をほこるようになり、それを背景として地方豪族が力を蓄えた。大和朝廷は、これら豪族と姻戚関係を結んで勢力が確立しようとした。大山守命と宇遅能和紀郎子との争いは、大和朝廷をめぐる河内勢力と山背勢力との戦いであった。宇遅能和紀郎子は、大雀命の密告で争いに勝ち、宇治神社付近にあったという桐原日桁宮で天下を統治しようとしたものの、河内勢力を代表するようになった大雀命に圧迫されて暗殺されたのではないか、すべては大雀命の陰謀ではないかと思われるのである。皇位を約束された宇遅能和紀郎子が長期間にわたって皇位を譲り合うというのはいかにも不自然である。桐原日桁宮の伝承や不審な死、御陵の存在は、宇遅能和紀郎子が皇位承継を宣言した後に暗殺されれたことを推認させる。8世紀になって古事記が編纂されるが、天皇の先祖が暗殺によって権力を手中にしたと書くことはできない。権力の正当性にかかわるからだ。他方、仁徳天皇となった大雀命は、庶妹の宇遅能若郎女をも妻としたように、山背勢力を無視することもできなかった。そこで、皇位の譲り合いが行われ、大雀命が皇位を承継したと記されるようになったのではなかろうか。宇治上神社や菟道稚郎子の御陵は、記紀に記述されなかった歴史の真実を垣間見させてくれるような気がしてならない。

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 皇位をめぐる争いは、この後も何度か繰り返された。現在でも遺産や祭祀をめぐる争いは尽きない。遺産分割や遺留分減殺の調停事件に関与していると、遺産が多い者は多いなりに、少ない者は少ないなりに争っている現実を目の当たりにする。相続人間で話し合い解決できない背景としては、遺産を相当に分配してもらわなければ自己の居宅を購入できないなどの経済的な理由や親を介護して苦労した者と実家を出て住宅ローンなどに苦しめられた者との感情のすれ違いなどがある。さらに、高齢化した親が子どもの歓心を買うために、複数の子に同じ財産を譲ると約束したり、特定の子どもに財産を相続させる遺言をすることが相続人間の争いになることもある。
 国民の誰もが遺産に頼らなくても経済的に自立できる社会になれば遺産をめぐる争いはなくなるであろうか。経済・社会が発展しても、人間の欲望も深まって争いがなくなることはないのであろうか。容易に回答を見出せそうにない。共和制となった国では、親から子への統治権を承継する制度が廃止された。これに照らしてみると、親から子へと財産を承継する制度が未来永劫存続するかも不明である。しかし、近い将来、相続という制度がなくなることはないであろうし、現在の新自由主義政策が生み出した格差社会の現実をみると、相続争いがなくなることはなさそうである。
(2007年10月更新)


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