メンバーの素顔紹介 杉山潔志

今里用水と裁判・証拠

 訴えを提起するときに裁判所に提出する書類を訴状といいます。訴状には、裁判の当事者(訴える側を原告、訴えられる側を被告といいます。)、裁判で認めてもらいたいこと(請求の趣旨)、請求の趣旨の根拠となる事実(請求原因)などを記載します。訴えられた被告は、請求の趣旨や請求の原因を認めるか否かということや被告としての主張を答弁書に記載して裁判所に提出します。裁判の当事者は、相手方が認めない主張事実や知らないという主張事実を証拠によって証明しなければなりません。
 原告と被告の主張内容が対立した事実について、裁判所が、証拠を調べても、事実の存否を確定できないこともあります。事実の存在が証明できないときに、有利な法律効果が認められないとされる当事者は、裁判の結果に不利益を生じます。このような不利益を証明責任といいます。たとえば、貸金請求事件では、「お金を貸した」という事実が不明確であれば、証明責任を尽くしていないとして、原告の敗訴になります。そこで、原告は、借用証書などの証拠で「お金を貸した」事実を証明しなければなりません。「お金を貸した」ことが認められるときは、被告が「返済した」などの事実を主張し、証明できなければ、原告の請求が認められることになります。
 ところで、債務整理を行なう場合、貸金の利率が法律が定める制限利息を超えているときは、制限利率で利息計算を行って超過利息を元本に組み入れて計算することができる場合があります。そのようなときには、貸金業者への返済額が減少したり、払い過ぎたお金(過払金)の返還を求めることができます。借入や返済の事実は、契約書や領収証などによって証明されますが、借主は、廃棄や逸失により、これらの書類を所持していないことがあります。借入、返済の事実が確定できず、債務整理に困難が伴ったこともありましたが、裁判所も取引履歴の開示義務を認めたため、債務整理における立証の困難さの1つが解消されました。
 他方、過労死事件の裁判では、原告側が勤務時間や勤務の内容、勤務の過重性などについて証明責任があるとされていますので、その証明が大変です。これらの事実を証明する証拠資料は、勤務先に保管されていることが多く、証明責任の転換が求める考え方が有力になっています。
 古代の日本には、探湯(くかたち、盟神探湯とも記す)という裁判法がありました。神に潔白の宣誓をして熱湯の中に手を入れるのです。正しい者は火傷をしないが、罪のある者は火傷を負うとされ、その結果で正邪を判断したのです。「日本書紀」には、甘美内宿禰(うましうちのすくね)が兄の武内宿禰(たけしうちのすくね)に謀反の心ありと讒言し、応神天皇が両者を尋問しましたが、判断できず、磯城川のほとりで探湯をさせた結果、武内宿禰が勝利したなどの探湯の例が記載されています。
 ヨーロッパにも熱湯神判や熱鉄神判、冷水神判などがありました。また、対立する当事者に決闘をさせて正邪を判断する決闘裁判も行われました。決闘裁判は、神が正しい者を勝たせるという考え方にもとづいています。しかし、女性や老人など決闘に適さない者もいます。そのような場合には、代闘士が決闘の代行をしました。こうして、決闘裁判の制度が形骸化し、衰退してゆきました。このような歴史を経て、証拠によって裁判をするという制度が確立していったのです。  
 
▲今里用水の水源付近の農地 写真をもっと見る
長岡京市の北東部を今井用水が流れています。水源は京都市西京区の石見上里にあり、長岡京市西の京の住宅地の中を南に流れ、今里の農地に至りますが、再び住宅地を流れ、東側を流れる小畑川に注ぎ込んでいます。今井用水は、現在では溝や暗渠を流れていますが、戦国時代に、九左衛門という人が水不足に苦しむ今里村の田畑を潤すために井ノ内村領を開削して引いた用水です。九左衛門は、用水を引いた咎で処刑された義民と言い伝えられており、京都市西京区大原上里鳥見町にある鳥見児童公園には京都府知事蜷川虎三書になる「義民九左衛門頌公之碑」が建立されています。
 
▲義民久左衛門頌公之碑(正面) 写真をもっと見る
1553年の旱魃の際に今井用水をめぐって今里村と上植野村とで争いが起こり、乙訓の国衆らの斡旋で和解しましたが、翌年の争いでは国衆らの調停では解決せず、三好長慶が今里村に用水の権利があるという裁可を下しました。1617年には井ノ内村から用水の水を要求されましたが、今里村は京都所司代に訴えて、井ノ内村の要求を退けました。水争いは、江戸時代から明治維新後も続き、1883年の旱魃の際には、今里村、石見上里村、井ノ内村の間で今井用水をめぐる争いが再燃しました。今里村は、京都府始審裁判所に提訴しましたが、敗訴し、大阪控訴裁判所が今里村に水利権を認めました。この判決書は今井用水の水利権を証明する文書として、写しも作られ、村人の手で大切に保管され続けられました(長岡京市史本文編二・乙訓の歴史を学ぶ会編著「京都おとくに歴史を歩く」参照)。今井用水の流れは、権利を証明するための証拠を保管することの重要性を教えているようです。
(2008年10月更新)


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