メンバーの素顔紹介 杉山潔志

女郎花悲話にみる人間行動
〔秋の七草・女郎花(おみなえし)〕
住宅街の宅地に植えられた女郎花
▲住宅街の宅地に植えられた女郎花
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 女郎花は、秋の七草の1つで、切り花用や鑑賞用として栽培されています。しかし、身近な山野に自生している女郎花を見ることは少なくなりました。草地の開発、道路工事、薬用(敗醤根の原料)採取、遷移の進行(山麓の草刈りがされなくなり、篠や低木の繁茂による自生地の減少)などが、原因のようで、京都府のレッドデータブックでは、要注目種に選定されています。
〔女郎花にまつわる悲話〕
 京都府八幡市には、女郎花という地名があり、女郎花にまつわる悲話が伝えられています。
松花堂庭園内にある女郎花塚
▲松花堂庭園内にある女郎花塚
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 平安時代の初めころ、八幡に小野頼風(おののよりかぜ)という男が住んでおり、京の都で仕事に就き、一人の女と深い契りを結ぶ仲となりました。その後、頼風は八幡に帰り、二人の間が疎遠となったので、思いあまった京の女が八幡に頼風を訪ねたところ、頼風と暮らすようになっていた女から「主(あるじ)は不在です」と聞かされました。頼風が心変わりをしたと思った京の女は、悲嘆のあまり泪川(なみだがわ)(放生川(大谷川)の上流)に身を投げて亡くなりました。京の女が脱ぎ捨てた衣が朽ちて、そこから女郎花が咲きました(頼風が京の女の遺体を葬った塚から女郎花が咲いたとの伝承もあります)。頼風がそれを聞き、花に近づくと、花は頼風を嫌うように遠のき、頼風が遠のくと元のように戻りました。頼風は、女の恨みの深さを知り、自責の念にかられて、後を追うように放生川に身を投げて亡くなりました。人々は、これを哀れんで、二人の塚を築きました。
女郎花塚にある謡曲女郎花と女塚の説明板
▲女郎花塚にある謡曲女郎花と女塚の説明板
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 女の塚は、八幡市八幡女郎花にある松花堂庭園内の「女郎花塚」で、男の塚は、同市八幡今田にある「頼風塚」であると言われ、付近の放生川の葦は、一方のみに葉をつけている"片葉の葦"で、「女郎花塚」に向かってたなびいているそうです。
 謡曲の「女郎花」は、この悲話にちなんでいます。肥後の国松浦潟の僧が都に上がる途中、石清水八幡宮に参詣しようと男山付近まで来ると、女郎花が咲き乱れていました。土産に一本手折ろうとすると、一人の老人が現れて止めますが、僧が古歌に詳しいことを褒めて、手折ることを許し、男塚、女塚を見せて、頼風であることほのめかせて消え失せます。土地の人から女郎花にまつわる悲話を聞かされた旅僧が二人の菩提を弔っていると、二人の亡霊が現れ、入水のいきさつや塚の由来を話し、頼風が邪淫の悪鬼に苦しめられているので成仏できるよう回向を依頼します。 ―― これが謡曲の内容です。
 女郎花の地名は、この悲話にちなんだものか、この地に女郎花が咲き乱れていたことによるものでしょう。
 
〔頼風の行動の評価〕
 悲話の内容に照らすと、頼風と京の女は夫婦ないし夫婦同然の関係であったこと、京の女との離婚または別れ話しができないまま、頼風が八幡に戻ったことを窺わせます。頼風は、なぜ京の女と一緒に八幡に戻らなかったのでしょうか。"去る者は日々に疎し"の諺のとおりに、京の女に対する思いが弱くなっていったのでしょう。八幡に戻ってから一緒に暮らしていた女は頼風の妻とも伝えられており、頼風の行動には問題があると思われます。
 平安時代初期の男女のあり方や婚姻制度は、現代とは異なっており、頼風の行動を安易に評価することはできませんが、現代であれば、重婚ないし婚約破棄にあたると思われます。重婚は民法で禁止されているだけでなく、重婚罪という刑罰の対象になります。また、婚約を不当破棄すれば、慰謝料支払義務を負います。頼風は、京の女に対しても、八幡の女に対しても、罪作りなことをしたものです。死をもって償おうとしたのでしょうか。

頼風塚入口の頼風塚石碑と案内板(八幡市八幡今田) 頼風塚
▲頼風塚入口の頼風塚石碑と案内板(八幡市八幡今田) ▲頼風塚
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〔進化してきた人間の行動・婚姻の形態〕
 人間の心の作用や行動様式、婚姻の形態なども進化の結果です。霊長類の社会が成熟したオスが群れから出て行くメス絆社会であるのに対し、類人猿では思春期を迎えたメスが家族や群れを離れます。配偶システムも、テナガザルは一夫一妻であり、オランウータンはオスもメスも単独で生活し、ゴリラは一夫多妻、チンパンジーは複雄複雌の集団生活をするなど多様です。
 一般に、1頭のオスが多数のメスを従えている動物は、メス獲得競争に有利になるようにオスの体格が大きく、立派な角や牙などを有しています(性的二型)。一夫多妻のゴリラも、オスがメスより圧倒的に大きな体格をしています。600万年ほど前にチンパンジーとの共通の祖先から別れたヒトは、当初、男女の体格差が大きかったようですが、アウストラロピテクス・アフリカヌスの対格差がメス100に対してオス137程度、ホモ・エレクトゥスでは100対120〜130、現生人類のホモ・サピエンスでは100対108〜122程度といわれ、男女差が縮小しています。文化人類学者のG.P.マードックが20世紀の中ころに行なった世界の849の人間社会の配偶システムの調査によると、一夫多妻制度が83%、一夫一妻制度が16%、一妻多夫制度が0.5%(4社会)でしたが、一夫多妻制度の社会でも、実際には、一夫一妻の夫婦が大部分のようです。人間は、子育てに長い時間と多くの手間を要するので、一夫一妻が子孫(夫婦のDNA)を伝えるために適応的となり、性的二型の縮小となって表れているものと考えられます(「進化と人間行動」長谷川寿一、長谷川眞理子・東京大学出版会など参照)。
 現在の人間の行動や婚姻形態も進化の途上にあるようです。頼風の行動は、人類が進化の結果として獲得した行動様式の範囲内であったかもしれませんが、将来的には、社会への適応性を欠くものとして淘汰されていくかもしれません。はたして、人間の心理や行動、人間の社会は、これからどのように進化していくのでしょうか?
 
(2011年10月更新)


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