メンバーの素顔紹介 杉山潔志

惣国一揆を起こした国の民主主義
〔南山城に起こった惣国一揆〕
 
上狛集落の大井戸
▲上狛集落の大井戸
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  南山城地域(相楽・綴喜・久世の上三郡)は、鎌倉時代以降、各地で武士による荘園の押領が続く中、遅くまで興福寺や東大寺、石清水八幡宮領の膝下荘園が存続しました。この地に成立した狛氏、椿井氏、木津氏、田辺氏、稲八妻氏などの国人(鎌倉時代地頭層から発して南北朝・室町時代に地域開発を行った武士層)は、守護となった畠山氏ではなく、管領細川氏と被官関係を結んでいた者が多かったようです。有力国人の狛氏は、狛野南荘に館を置き、上狛大谷の尾根頂上に高ノ林城を有し、狛野荘の下司職・公文職を務めていました。木津川市山城町大里の上狛環濠集落跡は狛氏の居館があったところで、環濠の跡や大井戸が残されています。また、椿井氏は、狛野北荘(現在の木津川市山城町椿井)を根拠とし、付近の天城山に城を有していました。
 南山城上三郡地域は、京都を焼け野原にした応仁・文明の乱の終息後も、畠山義就(よしひろ)と畠山政長による畠山氏の跡目争いによる戦いが続き、国人衆や農民は疲弊していました。このような中、三十六人衆と呼ばれる有力国人は、1485年(文明17年)12月11日、結集し、これに農民・馬借らも加わって、(1)両畠山軍の山城入国禁止、(2)寺社本所領の回復、(3)新関の撤廃を決議して両畠山軍を退去させ、畠山氏の守護支配を終わらせました。この国人衆が主導したことから一揆は山城国一揆と呼ばれていますが、農民や馬借らも参加していることから惣国一揆というべき内容を有しています。
 
〔国人衆による自治と惣国一揆の崩壊〕
 
上狛小学校の南側広場の観光案内板
▲上狛小学校の南側広場の観光案内板
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 こうして国成敗権を取得した国人衆は、1486年2月13日、宇治平等院に集まり、国中掟という法を定め、年行事・月行事(がちぎょうじ)という持ち回りの行政官を択んで惣国という形態の政治を行いました。荘園の違領を是正し、年貢米を徴収して半額を荘園主へ収納し、半額を惣国の運用費用にあてました(半済)。惣国は、関所の撤廃、道路の管理、検断(紛争解決、警察・裁判)を実施しました。
 新たに山城国の守護に任じられた伊勢貞陸(さだみち)も、当初は惣国による支配を認めざるを得ませんでしたが、伊勢氏による幕府・守護体制の再建の圧力、義就を継いだ基家の守護体制への復帰などによって、国人衆の内部分裂が生じ、貞陸を守護として承認する動きが生じました。伊勢氏に近い国人は、1493年8月、集会を開いて自治を放棄しました。同年9月、貞陸から相楽・綴喜二郡の知行を任された古市氏が軍勢を引き連れて山城に侵攻しました。これに対抗しようとした国人らは稲屋妻城に立て籠もって抵抗しましたが、攻め落とされました。こうして、8年間続いた国人らによる自治は終焉したのです。
 
〔2012年12月の衆議院議員選挙〕
 
 山城国一揆が崩壊して450年、第2次世界大戦の惨禍の中から日本国憲法が生まれました。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を謳う日本国憲法の理念には、平和と自治を求めて一揆を起こした国人や農民の思いに通じるものがあります。
 ところで、2012年12月に行われた衆議院議員選挙は、1996年の選挙から導入された小選挙区・比例代表並立制という制度のもとで実施されました。選挙の結果は、自民党が118議席から293議席に大躍進し、公明党も21議席から31議席に前進して、両党で憲法改正の発議に必要な3分の2の議席を確保しました。これに対し、2009年の選挙で政権に就いた民主党は230議席から57議席へと惨敗し、自公政権が復活しました。
 
 
〔2012年衆議院議員選挙の問題点〕
 
 2012年衆議院議員選挙は、最高裁判所が憲法違反と判決した小選挙区の区割りが是正されないまま実施されました。憲法違反の選挙区で選ばれた衆議院議員の当選が有効といえるのかなどの疑問を生じさせます。
 また、この選挙では、選挙史上最多の約3730万票の死票が生じ、無効票も約204万票もありました。投票率も過去最低の59.32%でした。投票が議席に結び付かない小選挙区制が有権者の選挙離れや政治への諦め感を促してきたと思われます。
 自民党は小選挙区で4割代の得票率で8割の議席を獲得しました。選挙には議会へ民意を反映するという側面と民意を集約して政権を安定させるという側面がありますが、ここまで民意と議席が乖離すると、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」(日本国憲法前文)といえるか疑問です。
 2012年衆議院選挙は、小選挙区制の問題点を浮かび上がらせ、民意の反映する選挙制度を求める声が大きくなってきたようです。500年以上も前の南山城に、住民の願いを自治によって実現させようとした民衆の運動があったことを忘れるわけにはいきません。
 
(2013年1月更新)


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