コラム 杉山 潔志 
橋姫伝説
〔宇治の橋姫神社〕
 宇治橋は、大化2年(646年)に架橋されたという日本3古橋の1つです。古くからある大きな橋には、橋の守り神の橋姫が祭られています。宇治橋西詰のあがた通り東側に水の神・祓神である瀬織津比咩尊(せおりつひめのみこと)を祭神とする橋姫神社があります。橋姫神社は、もともと宇治橋の三の間(秀吉が茶の湯の水を汲んだという出張り部分)にありましたが、宇治橋西詰に移され、1867年の洪水で流失後、現在の場所に移設されたそうです。
 
西詰上流側から見た宇治橋・橋脚)
▲西詰上流側から見た宇治橋・橋脚
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〔愛らしい宇治の橋姫〕
 宇治の橋姫は、延喜5年(905年)に上奏された「古今和歌集」の第14巻の読み人知らずの歌に
   「さむしろに衣かたしき今宵もや我をまつらん宇治の橋姫」
と詠われています。橋姫は、離れた場所で恋しい人を待つ愛しい姫と考えられていました。
 源氏物語の第45帖「橋姫」では、柏木と女三宮の不義の子・薫が宇治に隠棲して仏道三昧の生活をしていた八の宮(光源氏の異母弟)の生き方を理想として八の宮邸を訪れるようになり、その娘・大君に心を惹かれます。「橋姫」の帖名は薫が詠んだ「橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞぬれぬる」に因んでいます。ここでも、橋姫は都に住む貴族が宇治を訪れて見出した心惹かれる姫として描かれています。

 
〔嫉妬に狂う鬼となった橋姫〕
 ところが、鎌倉期に橋姫のイメージが一転します。平家物語の読み本系(「源平盛衰記」など)の剣巻には、嵯峨天皇の御世に、嫉妬深い公卿の娘が貴船神社に7日籠もり、貴船大明神に「妬ましい女を取り殺したい。生きながら鬼神にしてください。」と祈ったところ、哀れと思った明神から「鬼になりたければ姿を変えて宇治川に37日(21日とも)浸かれ。」とお告げを受け、髪を5つに分けて5本の角とし、顔に朱をさし、体に丹を塗り、鉄輪(かなわ:囲炉裏や火鉢に立ててやかん・鍋などの台とする器具)を逆さに頭に載せて3本の脚に松明を燃やし、両端を燃やした松明を咥えて夜更けに大和大路を下って宇治川に至り、37日浸かって鬼になり、妬んでいた女や相手の男、その縁者、親戚、更には誰彼となく人を殺したので、都では夜歩きする者がなくなり、そのような時に、源頼光の四天王の1人渡辺綱が一条大宮に遣わされた帰り道の一条戻橋で馬に乗せた女が鬼に変身し、綱の髪を掴んで飛び上がったが、綱に名刀・鬚切(ひげきり)で腕を切られ、安倍晴明がその腕を封印したなどと書かれています。この鬼が橋姫で、橋姫が行った呪いの儀式が丑の刻参りのルーツとなったと言われています。また、この物語は、謡曲「鉄輪」としても伝えられています。
 
姫神社の本殿
▲橋姫神社の本殿
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〔橋姫の変化の理由〕
 橋姫が愛らしい姫から鬼に変えられた理由は何でしょう?「嵯峨天皇の御世」を手掛かりに源(木曽)義仲と源範頼・義経の親族間の宇治川の戦いに理由を求め、義仲を橋姫に擬するという考え方があります。傾聴に値しますが、それだけで説明できるでしょうか。謡曲「鉄輪」は、離縁した夫と後妻に対する女の嫉妬と復讐の物語です。男の身勝手で他の女性と交際や結婚をすれば、その女性は嫉妬に狂って鬼にもなることを伝えたかったのではないでしょうか。
 
〔現代に通じる橋姫伝説とその解決〕
 現代では、交際中の男女の別離は、特段の事情がなければ相手方への慰謝料請求はできませんが、婚約をした男女の一方が婚約を不当に破棄すると、相手方に対して慰謝料等の損害を賠償しなければなりません。夫婦の一方が不貞行為をした場合、相手方配偶者に対する離婚や慰謝料請求だけでなく、不倫の相手方にも慰謝料請求が認められています。
 交際相手から別れ話を持ち出された際に、恋愛・好意の感情、または怨恨感情を満たすために、相手方やその配偶者、親族などにつきまといや面会の強要などをすればストーカー行為として処罰の対象となります。また、離婚紛争の配偶者からの暴力などがあれば、接近や電話などの禁止を命ずる保護命令の申立ができます。
 男女間のトラブルの防止や解決に向けての法的制度は次第に整備されてきました。しかし、法的制度だけでは関係者の心の苦悩まで解決できる訳ではありません。2019年3月20日には、離婚調停に出頭した妻が東京家庭裁判所の玄関で待ち伏せをしていた夫に刺殺される事件が発生しました。男女間のトラブルの解決には、法的制度の整備だけでなく、お互いに相手方を個人として尊重する教育や心のケアなどの施策を積み重ねていくことが必要です。
 
2019年6月