探訪 杉山 潔志


玉池の夜叉ばあさん
〔家庭生活における個人の尊厳と両性の平等〕
 日本国憲法第24条は、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない(第1項)、配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない(第2項)と定めています。
 結婚が当該男女の合意だけで成立し、家庭生活においても男女が平等であることは、現在では当然のことと考えられ、これを疑ったり、異を唱える人はいないでしょう。
 
〔大日本帝国憲法下の家族制度〕
 しかし、日本国憲法が制定されるまでは、婚姻をめぐる法制度は全く異なっていました。戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)には、婚姻に関する規定や男女平等に関する規定はありませんでした。戦前の民法の親族編は家制度を立法化したもので、家族に対する戸主の大きな権限と義務が定められていました。戸主の地位と家督は、戸主の死亡または隠居によって、原則として、長男から長男へと承継されていく仕組みがつくられていました。
 このような家制度の中で、子が結婚するには、その家にある父母の同意が必要とされ、妻は婚姻によって夫の家に入り、戸主の権利に服しました。また、妻は夫と同居する義務を負い、夫は妻を同居させなければならないとされ、妻の財産は夫が管理しました。母は子に対する親権を有していませんでした。
 このように、戦前の日本では、自己の意思で結婚することもできず、家庭内においても男女は平等ではなかったのです。
 
〔夜叉ばあさんの伝説〕
北東から見た夜叉ばあさんの椋
▲北東から見た夜叉ばあさんの椋
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 昔、寺田村(現、城陽市)の玉池のほとりに何度嫁いでも、そのたびに戻された娘がいたそうです。庄屋の娘であったとか、代官の娘であったと伝えられています。最初に嫁いだ家では、「陰気な嫁や」とか「理屈っぽい嫁や」と言われて実家に帰され、次に嫁いだ家では「なかなか子どもが生まれない」と夫婦仲を裂かれて帰されたとのことです。7度目に戻されてから、池のほとりで人目を避けてたたずむようになり、髪を切って尼になる決意をしていたのですが、髪が伸びるのを待っていたように、後妻の話しが持ち上がったそうです。女性は、池に写った自分の顔を見ると夜叉の姿のようでした。悲観した女性は、池に身を投げて底深く沈んでいったとのことです。それ以降、寺田村では嫁入り行列は玉池の傍を通らなくなり、池の傍の木に人の顔をした瘤ができるようになりました。それをだれ言うとなく夜叉ばあさんと呼ぶようになったとのことです(宇治・山城の民話ll(宇治民話の会)120ページ〜)。

夜叉ばあさんの椋の説明板
▲夜叉ばあさんの椋の説明板
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 このような言い伝え以外に、娘は、髪をおろして家のそばに堂を建てて観音さまに仕えて余生を送ったとの言い伝えもあり、明治になって道路整備のために観音堂の石塔(夜叉の石塔、夜叉塚)は、寺田共同墓地に移されたとのことです。
 その女性が亡くなった後、嫁入り行列が避けて通るようになったとは、この伝説をさらに悲しいものとしています。夜叉ばあさん伝説は、伝える人によって、「田の水は3日に1度抜いたほうがいいと」と言って舅の怒りをかった、田に急ぐあまり道で夫を追い越した、朝食を家に上がって食べた、漢字が読めて気味悪かった、大声で歯を出して笑ったなど、縁切りの理由も様々です。また、嫁入りの回数を7回とするものや13回とするものがあり、人の顔をした瘤ができる人面木は、夜叉ばあさんの呪であると言うものもあるようです。

水度神社表参道の楠(玉池北側)
▲水度神社表参道の楠(玉池北側)
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〔伝説の背景〕
 夜叉ばあさんの時代には、親の意思で子の結婚が決められていたのでしょう。現代の目で見ると、夜叉ばあさんには、一つとして正当な離婚理由と認められるものはありません。離婚された「理由」からは、賢くて行動的、快活で古い慣習にとらわれない女性像が浮かび上がってきます。このような時代を先取りする女性は、古い因習に胡坐をかいていた男にとって煙たい存在であったかもしれません。しかし、自分の意思を言動に表すことは、これまでの女性にとって憧れであり、それが、伝説という形で語り継がれたのかもしれません。夜叉ばあさん伝説は、悲話という形をとりながら、理不尽な社会を告発しているようです。

 戦前の日本には、夜叉ばあさんのような思いをした女性は相当数いたと思われます。日本国憲法が保障する家庭生活における個人の尊厳と両性の平等が定められた背景には、男女不平等の社会を告発し、これに抗議した女性の思いやこのような社会に対する反省の気持ちが込められています。日本国憲法は、この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない(第12条)と呼びかけています。
 
(2011年8月更新)