探訪 杉山 潔志


古代の王都・長岡京の景観保全
〔景観に関する法制度〕
 平成16年に、都市や農山漁村の良好な景観の形成を促進し、豊かな生活環境の創造、個性的で活力ある地域社会の実現を図ることによって、国民生活の向上、国民経済・地域社会の健全な発展に寄与することを目的として景観法が制定されました。
 景観法は、国の景観形成に関する総合的施策を策定・実施する責務を定め、指定都市、中核市、都道府県などが景観計画を定めることができると規定しています。
史跡長岡宮跡築地跡(向日市鶏冠井町稲葉)
▲史跡長岡宮跡築地跡(向日市鶏冠井町稲葉)
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 景観法を受ける形で、京都府は景観条例を定め、京都市は市街地景観整備条例、風致地区条例、眺望景観創生条例、自然風景保全条例などを定めています。京都府は、都市景観の形成・保全を目的として関西文化学術研究都市を景観計画区域に定めています。
 伏見区では、稲荷山(風致、特別修景、歴史的風土特別保存、自然風景保全)、醍醐寺周辺(風致、特別修景、歴史的風土特別保存、自然風景保全、眺望景観保全)、伏見南浜(歴史遺産型美観)、日野(近郊緑地保全)などが京都市により景観計画区域に定められています。
〔景観利益にもとづく訴え〕
 広島県福山市鞆町の鞆の浦は、風光明媚な所として知られ、鞆港は、万葉の時代から瀬戸内の潮待ちの港として栄えました。江戸時代には、朝鮮通信使の寄港地にもたびたび指定されました。鞆港には、近世の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場、船番所などが残されています。また、鞆の浦は、宮崎駿監督が鞆の浦でアニメ映画「崖の上のポニョ」の構想を練った場所としても知られています。
 
 ところが、広島県と福山市は、鞆地区の道路交通の円滑化と地域の活性化を図る目的で、鞆港の西側を埋立てて公園や駐車場を整備し、東側とコンクリート橋で結ぶ計画を進め、2007年1月には埋立免許申請に必要な測量が実施されました。これに対し、計画反対住民は、広島地方裁判所に、広島県知事を被告として埋立免許処分禁止を求める訴えを提起しました。
 裁判所は、2009年10月1日、「鞆の景観は、美しい景観であるだけでなく、歴史的、文化的価値を有するものであり、このような鞆の景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者の景観利益は、私法上の法律関係において、法律上保護に値するものである」などと判示して、原告らの訴えを認める画期的な判決を言い渡しました。
 この判決に対し、控訴がなされましたが、鞆地区住民は、景観保全や交通円滑化、地域の活性化を巡って協議を続けています(朝日新聞2012年1月29日)。
 
 京都市内でも、景観利益を根拠にマンション建設や開発行為を差し止める訴えが提起されましたが、景観利益を真正面から受け止める判決はでていないようです。伏見区でも、マンション建設に対し、日照権などどともに「町なみ権」を差し止め理由として建築禁止の仮処分の申立をしましたが、認められませんでした。
〔景観政策の始まり〕
朝堂院公園内にある「長岡宮跡」説明碑
▲朝堂院公園内にある「長岡宮跡」説明碑
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 景観に対する意識は、いつ頃から生じたのでしょうか。藤原京や平城京が置かれるようになったころには、宮城やその周辺の景観が意識されるようになったと思われますが、判然としません。
 
 桓武天皇は、784年、長岡京に遷都しました。平城京の廃都は、新王朝の創設、貴族や寺院などの旧勢力の排除などを目的としたもので、渡来系の人々(秦氏や百済王)の存在や乙訓の地域が水陸の交通の要衝であることなどが長岡京遷都の理由として挙げられています。
 
 長岡京の時代は、住民が都市民へと特化していった時代で、都城の外側の社会にも大きな変化をもたらしたと指摘されています。延暦年間には、周辺の環境保持に関心がはらわれ、山城国紀伊郡深草山の西斜面への埋葬が禁じられ(「類聚国史」延暦11(792)年8月丙戌条)、長岡京近隣の諸山の樹木伐採も禁じられました(「類聚国史」延暦12(793)年8月丙辰条)。長岡京は10年で廃都されましたが、平安京遷都後も景観保全のために伐木の禁制が出されています(「桓武と激動の長岡京時代」国立歴史民族博物館編)。
史跡長岡京跡朝堂院公園・翔鸞楼付近(南側から撮影)
▲史跡長岡京跡朝堂院公園・翔鸞楼付近(南側から撮影)
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 長岡京の遺跡に立つと、桓武天皇が長岡京の大極殿からどのような景観を眺めたのだろうか、官吏が朝堂院でどのような都市景観を計画したのだろうかと思わずにはいられません。
 
〔新しい権利の生成と発展〕
 これまでの景観に関する制度や禁制は、為政者が人民に遵守させるものでした。ところが、日本国憲法が施行されてからは、市民が権利として景観利益を主張する時代となりました。鞆の浦差止事件の運動は、景観利益の権利という新しい権利を誕生させました。
 
 権利は、国民の運動や権利意識に支えられて生成・発展します。日本国憲法のもとで、景観利益の権利だけでなく日照権やプライバシーの権利など多くの新しい権利が誕生してきました。しかし、権利は、保持の努力が不足すると絵に書いた餅となりかねません。日本国憲法は「この憲法が国民に保障する権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)と定めています。
 
(2012年2月更新)