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杉山 潔志 |
■裁判を受ける権利と伏見義民
これらの司法改革法案の中で、民事訴訟敗訴者負担制度は継続審議になった。敗訴者負担制度は、民事訴訟の敗訴者に勝訴者の弁護費用などの全部または一部を負担させるもので、さまざまな案が検討されてきたが、法案になったは、訴訟当事者の合意による敗訴者負担という制度である。敗訴者負担制度には、相手方の弁護士費用をも負担できる経済力を持っている者は裁判が負担とならないが、そのような経済力のない者には裁判の提起を躊躇させる効果がある。合意による敗訴者負担の場合でも、合意しない当事者に裁判開始時で敗訴を覚悟しているとの印象を与えるため、合意せざるを得なくなることが危惧される。そうなると、経済的弱者は、裁判によって紛争の解決をできなくなる。日本弁護士連合会も、敗訴者負担制度には憲法第32条が保障する裁判を受ける権利を有名無実化する危険性があるとして反対している。 ところで、裁判については、紛争の当事者や犯罪を犯した者が受けるべき義務と感じる人も多い。しかし、裁判は、権利の実現や適正な手続きの保障のための国民の権利である。このことは、近代以前の裁判と対比してみるとわかりやすい。わが国では、江戸時代にも民事、刑事の裁判手続きがあったが、行政機関から独立した裁判所はなかった。また、裁判にはかなりの負担があったようで、特に、刑事事件で家族や村の連帯責任を課せられたり、江戸表への出頭を命じられると過酷な負担となったようだ。現代と異なるのは、「お上」の処分に異議を表明する行政訴訟の制度が整備されていなかったことだ。そのため、悪政に対し、御法度とされた直訴に訴えることが行われた。
このような小堀正方の悪政を告発するため、刀物鍛冶・文殊九助ら7名が松平伯耆守に直訴に及んだ。これが伏見義民一揆で、文殊九助らは天明義民と称されている。直訴の結果、願書は却下されたが、小堀正方は、伏見奉行を罷免、領地を没収された上、大久保加賀守へのお預けの身となり、お家断絶となった。しかし、田沼意次に代わって老中首座となった松平定信が7名にお構いなしを申し渡したときには、天明義民はいずれも病死や牢死をしていた。大黒寺には義民7名の遺髪塔があり、御香宮神社には三条実美が額分を書き、勝海舟が本文を書いたという顕彰碑が建立されている。 わが国においても、裁判を受ける権利が保障されていない時代には、伏見義民のような過酷な歴史的な事実があった。裁判を受ける権利を考えるときに、このような現実があったことを思い起こしてみた次第である。 (2004年11月)
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