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弁護士の “やましろ”探訪 〜古から現代へ〜

かぐや姫の里

杉山 潔志
竹取翁博物館 ▲ 竹取翁博物館
〔日本最古の竹取物語〕
 かぐや姫のタイトルで知られている竹取物語は、日本最古の物語です。成立年や作者は不詳ですが、大和物語や宇津保物語などに竹取物語への言及があり、源氏物語・絵合巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから遅くとも10世紀中頃には成立していたと考えられています。また、作者は、仏典や漢籍などに詳しく、和歌の才能もあり、貴族の情報が入手できる知識人で権力の中枢から外れてた人物と推定され、紀貫之、紀長谷雄、遍昭、源順、源融、菅原道真など多数の説があります。竹取物語の原本は現存せず、室町時代初期の写本が最古のものといわれています。
〔かぐや姫の里〕
 竹取物語の由縁の地として、静岡県富士市、奈良県広陵町、京都府京田辺市(旧綴喜郡田辺町)、同向日市、香川県さぬき市(旧大川郡長尾町)、岡山県倉敷市(旧吉備郡真備町)、広島県竹原市、鹿児島県薩摩郡さつま町(旧薩摩郡宮之城町)が名乗りを挙げています。
富士市説は、 かぐや姫は富士山の仙女で、国司の求婚に応じて一緒に暮らした後、富士山に登って天女になったという富士山信仰と結びついた同地の伝説によるもので、市内には竹採塚やかぐや姫が富士山に登ったときに通った囲いの道、見返し坂などあります。
長尾町説は、 竹取の翁の名がさぬきの造(みやつこ)であること、かぐや姫の名付けの親である三室戸斎部(みむろどいんべ)の秋田につながる忌部氏が拓いたという讃岐国の成り立ち、讃岐の国が大和朝廷に矛竿用の八百竹を貢進していたことなどを根拠としています。
広陵町説は、 かぐや姫に求婚した5人の貴公子は壬申の乱に関係した人物に比定でき、飛鳥京ないし藤原京に住んでいたと考えられるので、翁の家が貴公子らの邸宅に近いと推察されること、開化天皇の孫・讃岐垂根王(さぬきたりねのみこ)の姪に垂仁天皇の妃となった迦具夜比賣命(かぐやひめのみこと)がおり(古事記)、広陵町には讃岐氏に関係のある讃岐神社があること、三室戸斎部の秋田が住んでいたというみむろ丘があることなどを根拠に挙げています。
月読神社 ▲ 月読神社
京田辺市説は、 迦具夜比賣命の父大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の名が綴喜(筒木)という地名に由来し、筒木は竹を意味すること、翁の名は讃岐の造ではなく、現存の文書では「さかきの造」ないし「さるきの造」であって榊=朝廷に仕える人と考えられること(岩波文庫「竹取物語」(武藤本)は「さかきの造」と記述)、物語では翁の家が“やま本”の近くとされ、京田辺市には山本驛が存在していたこと、京田辺市には月讀(つくよみ)神の降臨伝説がある甘南備山や月讀命を祭る月讀神社があり、天の羽衣を着て月に帰ったかぐや姫を推測させる天女伝説のある鶴沢の池(現在は公園)があったことなどを根拠としています。
向日市説は、 根拠として、向日市が竹の産地であること、三室戸斎部の秋田は現宇治市三室戸の神主であり、求婚者の1人である石作皇子(いしつくりのみこ)は近くの大原野にいた一族であると考えられることなどを挙げています。
竹の径:海道垣(左手前)・かぐや垣(左奥) ▲ 竹の径:海道垣(左手前)・かぐや垣(左奥)
〔由縁の地は?〕
 竹取物語の由縁地では、かぐや姫の里と主張してモニュメントの設置やかぐや姫にちなんだイベントなどを行なって、地域の特色を反映したかぐや姫のイメージ作りを行なっているようです。京田辺市には私設の竹取翁博物館が開設され、竹取物語と直接関連しませんが、「二月堂竹送り」の行事が復活しています。向日市では竹穂垣やかぐや垣などの垣のある「竹の径」が整備され、「かぐやの夕べ」のイベントが行われています。
 由縁地としては、広陵町説と京田辺市説が有力と思われますが、他の説にもそれなりの根拠があります。由縁地が1つか否かも定かではありません。
〔事実認定の困難性と事実認定のルール〕
 竹取物語の由縁地は1つに認定する必要はないかもしれませんが、民事裁判では、当事者が法律効果を生じさせる事実を主張し、それを証明する証拠を提出して、裁判所が事実認定を行います。当事者が所持する証拠は完璧とは限らず、事実認定に困難を伴うことがありますが、困難であっても事実を認定して紛争を解決しなければなりません。
 裁判では、証明責任の考え方がとられ、証明責任を負う当事者は、主張する事実を証明しないとその事実が認定されない不利益を受けます。たとえば、お金を貸したと主張する者は、相手方がその事実を否認すると、借用証などで証明しないと貸金の事実が認定されません。これ以外にも、証明の必要性や証明責任の転換などの証明に関するルールがあります。最終的に口頭弁論の全趣旨、証拠調べの結果を斟酌して自由な心証によって事実を認定し、これに法律を適用して判決を言い渡します(自由心証主義)。裁判はこのような事実認定のルールにもとづいて行なわれているのです。

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  • 薪狐谷付近から見た甘南備山 ▲ 薪狐谷付近から見た甘南備山
  • 竹の径:竹穂垣(左手前)・寺戸垣(左奥)・深田垣(右) ▲ 竹の径:竹穂垣(左手前)・寺戸垣(左奥)・深田垣(右)
  • 観音寺での道中安全祈願 ▲ 観音寺での道中安全祈願
  • 伐採した寄進竹の観音寺への搬入 ▲ 伐採した寄進竹の観音寺への搬入
2025年2月

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