憲法を知ろう
自由・権利の保持義務(12条)
日本国憲法第12条
日本国憲法は第12条で
日本国憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
と定めています。立命館大学君島東彦教授がカントの「永遠平和のために(永遠平和論)」(1795年著)に触れて行った「ロシア・ウクライナ戦争をどうみるか」と題する講演も踏まえ、この規定の意味を考えてみましょう。
ロシアのウクライナ侵略の背景
ヨーロッパには欧州安全保障協力機構という集団安全保障体制がありましたが、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構が対峙していました。ソ連の崩壊によってワルシャワ条約機構は消滅しましたが、NATOは存続し、ロシアの軍事力を危惧した東欧諸国はNATOに加盟していきました。他方、ロシアはNATOの東方拡大に危機感を増大させました。カントは、「平和とは一切の敵意が終わること」(永遠平和論・第1章第1条項)と述べています。NATOの存続と拡大により、ロシアとNATO加盟諸国との間で“敵意を終わらせる”信頼関係を構築できなかったため、集団安全保障が機能せず、ウクライナのNATO加盟への模索がロシアの侵略の契機となったと思われます。
権威主義国家における言論の自由と権力分立の形骸化
ロシアは、実質的にプーチン大統領に権力が集中した権威主義国家となっていると言われています。プーチン大統領は、侵略をウクライナに拡がるファシズムに対する集団的自衛権の行使と説明し、戦争反対の世論を“法律”に基づいて抑圧して国民の高い支持を得ていると伝えられています。カントは「国内の共和的体制が国際平和をもたらす」(同第2章第1確定条項)とも指摘しています。カントのいう共和的体制は権力分立制のようですが、ロシア国民が自国の戦争をとめられなかった原因には、ロシアの似非立憲主義と民主主義の形骸化があるようです。
ロシアのウクライナ侵略後に論じられている安全保障論
ロシアの侵略後、日本では、敵基地・敵枢要部攻撃能力論や核兵器共有論、防衛費GDP2%増額論などの安全保障論が主張されています。これらの主張はいずれも軍事力による戦争抑止論です。このような抑止論は、常備軍増強論であり、他国を絶えず戦争の脅威にさらしている常備軍を時とともに全廃しなければならないとのカントの指摘(同第1章第3確定条項)に反するもので、軍拡競争をもたらし、“敵意”を増大させる結果をもたらします。自衛隊を強化し、核兵器を持ち込めば、北朝鮮が核兵器や弾道ミサイルの開発をやめ、中国との領土問題が解決するのでしょうか。ウクライナでの戦争をみるまでもなく、現代的兵器で武装した国がいったん戦争を始めると、国民に苛酷な結果をもたらすのです。
日本国憲法の平和主義と憲法保持責任
日本国憲法は、アジア太平洋戦争による惨禍と戦争を違法化した国際連合の成立を受け、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利を有する」
と確認し(前文)、陸海空軍その他の戦力の保持と国の交戦権を否認する(第9条2項)と宣言しました。平和的生存権が保障する利益を国民が享有するためには、東アジアと世界の諸国の人々が対話によって“一切の敵意”を終らせ、集団安全保障制度を確立する必要があります。日本国憲法第12条は、国民に対し、平和の実現と維持のために、“一切の敵意”を終らせるために、どうすればよいかを考え、そのための行動を行うよう呼び掛けているのです。
(弁護士 杉山潔志・2022年6月記)