憲法を知ろう
教育をめぐる国民と国家との関係(26条)
国民の教育を受ける権利
この点に関して、最高裁(学テ判決・最大判昭和51・5・21)は、「(憲法26条の)既定の背後には、国民各自が、…成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有する」としています。憲法の要請として、「学習権」が承認されたものです。
しかし、この権利は、単に、自由権的に、国家をはじめ他の団体・人からの介入を禁止するだけで実現できるものではなく、社会権的に、適切な国の関与を要請するものです。
教育の機会均等
「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」(憲法26条1項)としています。何を指して「能力」といい、「ひとしく」とはどのようなことかが問題となります。学校教育法の改正により1999年から、中高一貫校制度が導入されています。現在(令和3年)602校の中高一貫校が設置されており、京都府下においては、福知山高校、園部高校、西京高校、洛北高校内に併設されています。
この制度の導入に関して、文科省(同省HPより)は、「心身の成長や変化の著しい多感な時期にある中等教育において,一人一人の能力・適性に応じた教育を進めるため…中高一貫教育を導入することが適当である」としています。
しかし、この制度が中高生にとって良いものなのであれば、すべての中学高校を「中高一貫」にすればよいのではないでしょうか。それとも、普通中学にいく子供と中高一貫校に行く子供とは「能力が違う」-「能力に応じて」いる-ので構わないということでしょうか。
同じような問題が、私立学校や国立付属小学校などへの「お受験」の問題として表れています。小学校入学の段階から、「良い」学校と「普通の」学校で学ぶというコース分けがされているのです。
「親ガチャ」の典型例だと思いますが、仕方ないことなのでしょうか。
「主権者たる国民」の養成
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」(憲法・前文)とあるように、国民が「正しく」代表者を選出することは、この国のあり方にとって、決定的に重要なことです。その意味において、どのような主権者を育てるのかは、国民個人にとってではなく、国家として大きな関心事となることは、間違いないことです。どのような教科書を採用するか、何を教えるべきか(教えないべきか)、教員の資格をどうするかなどについて、単に「国家的介入」と捉えるのではなく、国家側から見た「主権者教育」はどのようなものであるべきかという観点からの検討が必要だと思います。
(弁護士 中尾 誠・2022年4月記)