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憲法を知ろう

衆議院の解散(69条)

高市内閣のもとでの衆議院の解散
 2025年10月21日に、自民党と日本維新の会の政策合意を受けて、自民党総裁の高市早苗氏が日本史上初の女性総理大臣に選出されました。
 高市内閣は、2026年1月23日、国会冒頭で衆議院を解散し、高い支持率を背景に自民党は2月8日投票の選挙で単独で3分の2以上の316議席を獲得しました。
衆議院解散に関する憲法の規定と解散権の根拠
 日本国憲法は、第7条と第69条に衆議院の解散に関する規定を置いています。第7条は、第3号に内閣の助言と承認によって行う天皇の国事行為として「衆議院を解散すること。」と定めています。国政に関する権能を有しない(憲法第4条1項)天皇が行う解散の宣旨は、形式的なものにすぎません。他方、第69条は、解散権に触れないで「内閣は、衆議院で不信任の決議を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」との規定です。
 実質的解散権は内閣が有すると解されていますが、憲法上の根拠としては、69条による内閣の対抗的解散に限られるとする69条限定説と内閣の裁量的解散を認める69条非限定説(憲法上の根拠としては、7条説、議院内閣制を根拠とする制度説、内閣の行政権に求める65条説)が主張されています。
衆議院の解散の手続
 内閣総理大臣が解散を決定すると閣議を開き、内閣の総意で閣議書を作成して全国務大臣が署名します。内閣の行政権行使についての国会に対する連帯責任(憲法第66条3項、内閣法第1項2項)にもとづき、内閣総理大臣は、反対の国務大臣があれば罷免して(憲法第68条2項)閣議を全会一致とするものされています。完成した閣議書は、内閣総務官(旧、首席内閣参事官)が皇居または御所に赴き、詔書の原案に天皇の署名・押印(御名・御璽)を得て持ち帰り、内閣総理大臣が副署して解散詔書が作成されます。
 内閣官房長官が詔書の写しを衆議院議長に伝達し、議長が衆議院本会議または衆議院議長応接室(会議のない日)で朗読して衆議院が解散されます。衆議院議員は解散によって失職します。
これまで行われた衆議院の解散
 日本国憲法施行後に衆議院選挙は28回行われましたが、任期満了によるのは三木内閣のもとでの1976年の1回だけで、27回は解散によるものでした。内閣不信任決議の可決による解散は4回だけで、23回は裁量的解散でした。
 吉田内閣が1948年12月23日に行った初の解散(馴れ合い解散)の詔書には「衆議院において、内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第六十九條及び第七條により衆議院を解散する。」と書かれていますが、2回目以降は内閣不信任案が可決された場合も含め「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。」との記載となっています。
衆議院の解散に関する裁判例
 1952年の2回目の解散(抜き打ち解散)後、苫米地議員は、国に対し、憲法第69条によらない解散であり、全閣僚一致の閣議決定による助言がなかったので解散無効と主張して、衆議院議員の資格確認及び歳費請求の訴えを提起しました。
 第一審の東京地方裁判所は、69条非限定説を採りましたが、助言手続の瑕疵を認め、28万5000円の歳費の支払いを命じました(1953年10月19日判決)。第二審の東京高等裁判所は、解散日の持ち回り決議による書類形式の完備を認めて苫米地議員の請求を棄却しました(1954年9月22日判決)。最高裁判所は、高度の政治性がある国家行為は内閣、国会等の政治部門、最終的には国民の政治判断に委ねられるとして実質的判断をせず、上告を棄却しました(1960年6月8日判決)。
衆議院解散に対する制限論
 内閣の衆議院解散権に対しては、解散権の自由な行使を積極的に支持する見解(高橋和之)、衆議院で内閣の重要案件(法律案、予算等)の否決、審議未了になった場合などに制限する見解(芦部信喜)、逆に前回選挙後相当の期間が経過した後に重大な政情の問題が発生した場合などには解散権行使が必要との議論もあります(佐藤功)。
 また、解散の制限には、憲法の改正を要するとの考え方や法律によって解散権を制限する考え方が提示されています。
(弁護士 杉山潔志・2026年3月記)
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