井関佳法 Essay
東日本大震災に想う
2011年6月
東日本大震災と津波、そして原発事故が起きて1か月余りが経過しました。地震と津波による言葉も失う程のすさまじい被害と、放射能から逃れるために町ごと避難したとの報道。しかし、京都では何も変らぬ日常が続いており、ギャップがあまりに大きく感じられます。阪神大震災の時は、直後から合計3回徒歩で現地入りして法律相談活動に参加しました。今回は同じようにはゆかず歯がゆい思いがします。
東電や政府に原発の安全性について責任を持って考える人はいなかったのか、都合の悪い事実やデータや意見を受け止める度量はなかったのか。走り始めると破局まで突き進んでしまう体質は、戦後60年たっても変っていなかったのかと暗澹たる思いがします。
被災者の救援と復興をやり遂げるとともに、この機会に日本のこうした体質を変えていかなければいけないと思います。