中尾 誠 Essay
日本からの移民・日本への移民
2019年11月
北海道・満州・南米北海道には、新広島市、新十津川市など、開拓者がもと住んでいた場所がゆかりの地名が多くあります。伊達市のように、伊達藩の旧士族が集団で移住してきたことにちなむ地名もあります。当時の国内からの集団的な移住のさきがけで、明治維新直後の1869年から始まっています。
ブラジルをはじめとする南米への移民は、1908年から始まり、移民船の運航は(途中中断しますが)、1973年まで続きました。約30万人の日本人が南米に向けて移住しました。私も、小さい頃、神戸港から出港する移民船を見送ったことがあります。楽団の演奏は賑やかでしたが、悲しい思いをしました。
1931年からは、「満州国」に満蒙開拓民としての移民が始まり、敗戦時までに約27万人が「新天地」を求めて、移住しました。敗戦、ソ連参戦、引き揚げ、そして、残留孤児は、その後の出来事です。私の仲人さん(当時10歳)も、満州からの引揚者で、引き揚げの途中、家族からはぐれたことがあった、とお聞きしたことがあります。
外国人労働者の急増
日本で働く外国人労働者数は、146万人(2018年)で、5年間でほぼ倍増しています。工場で働く人だけでなく、農業や漁業に従事している人も多くいます。また、東京のコンビニの店員さんの多くは、外国人労働者だと言われています。
技能実習生の劣悪な労働条件、留学生として来ている人のアルバイトの実態を聞くにつけ、他人事ではないという思いを強くしています。