京都南法律事務所

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吉田眞佐子 Essay

薬物依存と「不適切な養育」
2002年11月
  青年が覚せい剤の自己使用で逮捕されたという連絡があった。面会に行くと「興味本位で使っただけ。もう二度としない」と言う。「依存症になっていませんか」と尋ねると彼はきっぱり否定した。彼との面会や両親との打合せの中で、彼は小中学校時代にピアノ、スイミング、英会話、習字などたくさんの習い事、学習塾に通っていたことがわかった。私は、裁判所で親に、どれだけ彼を大切にしてきたかを話してもらい、子ども時代の発表会の写真などを情状証拠として提出した。執行猶予判決だった。

 半年後、遠方の警察から「面会に来てほしいと言う人がいる」という連絡がはいった。名前と罪名を聞いて驚いた。執行猶予中の彼がまた覚せい剤取締法違反で逮捕されていた。しかも事実を認めていると言う。当時の私は、一度弁護人を引き受けた人が同種事件で再犯をしたら二度と弁護人は引き受けられない、と考えていた。彼の更生に私が役立たなかったのだから、他の弁護士が関わったほうがいいだろうと思ったのである。当番弁護士を頼むように言って下さい、と言って断った。ところが彼は警察官を通じて何度も「来てほしい」と連絡してくる。親に聞くと「ほっておいてください」との返事。でも最終的には親から面会してやってくれとの依頼があった。私も彼の熱意に負け、とにかく一度会って私の残念な気持ち、私の弁護では立ち直れないのではないかという心配など率直な思いを話してみようと思った。

 面会に行くと彼は開口一番「今度こそ絶対やめる」と言った。私は「あれだけ誓ったのに、次にやれば刑務所行きとわかっていたのに、なぜ・・・。これはもう依存症の段階ではないか」と尋ねた。しかし彼は「違う。自分の意志でやめられる」と言い切る。私は、本人が否定するのだから違うのかな、でもひょっとしたら依存症ではないかなと半信半疑であった。私は、薬物依存のわかりやすい本がないかとまわりの弁護士に尋ね、大阪ダルクという薬物依存症の自助グループがあることをはじめて知った。私は大阪ダルクから出版物の一覧表を送ってもらい、何冊か購入して勉強した。はじめて知ることばかりで、大きな衝撃を受けた。彼には「今日一日・・薬物依存症とは何か」という冊子を1冊差し入れた。次に面会したとき彼は「僕は依存症です」と一転して認めた。うすい冊子を1冊読んだだけでどうしてそう思ったのか、と私がびっくりすると、彼は、最初に冊子の表紙の裏にある「あなたのサルにエサを与えるな」という言葉と猿の絵を見て、自分が依存症であることに気づいたと説明してくれた。「僕の中に覚せい剤をほしがるサルが住みついていて、そいつが薬をほしがったんだ。ダルクの本に書いてあることはどれも僕に当てはまるからもう逃げようがないとわかった」と彼は語った。そして、「僕は前回の逮捕前のある日、部屋中のものが壊れていて、自分がやったことに気づき愕然としたことがあった。でもシャブ中(覚せい剤依存症)なんて人間じゃないと思っていたから、絶対シャブ中と認めたくなかった」と本当の気持ちを話してくれた。

 自分が覚せい剤依存症である事実を受け入れた彼は、自分の生い立ちを振り返った。彼は「子ども時代、自由な時間がほしかった。友達と思いっきり遊びたかった。習い事も全部いやだった」と言った。「どうして親に言わなかったのか」と聞くと「親は僕に自分の夢を託していた。一流のスポーツ選手になれ、一流の人間になれと。言いつけを守らないと体罰を受けた。恐ろしくて自分の本当の気持ちなんか言えなかった。学校でも体罰を受けた。学校にも家にもほっとできる居場所がなかった。やっと見つけた居場所は友人の部屋。彼は僕の話を聞いてくれた。そこでシンナーを覚えた。大人になってもいつも何かに追われているような不安な気持ちだった。シンナーの延長線上で覚せい剤に手を出した」

 彼は私に何通も手紙をくれた。私はダルクの人に頼み、拘置所の彼に面会してもらった。彼は見知らぬ自分のためにはるばる面会に来てくれたことに感動し「これまで自分は、覚せい剤を使いたい人は使えばいい、と冷めて見ていた。でも、今度社会に戻ってきたら僕もダルクの人のように、他の人にも薬物やめろよ、と言いたいと思う」と言った。親についても「親は僕への愛情から色々してくれたことがわかった」と感謝の気持ちを述べるようになった。彼は、警察の調書にもない自分に不利なことも洗いざらい手紙に書いてきた。

 私は、裁判所に対して予め、被告人質問に時間を取りたいから1回で結審(審理を終結すること)しないことを申入れていた。第1回期日に「次回期日をいれてほしい」と言うと、裁判官は露骨にいやな顔をした。私が彼の手紙全てを書証として提出した上で生い立ちなどの質問をしている時も、裁判官は「関係ないこと聞くな」と言いたそうなイライラした表情であった。しかし、裁判官にとってはありふれた覚せい剤の再犯事件で実刑間違いなしの事件だとしても、被告人本人にとっては、自分の人生の一大事件である。十分その背景事実も聞いてほしいと思う。都会の裁判官が忙しくて精神的ゆとりがない状態にあることを感じ、とても残念だった。しかしながら、裁判官は最終的に彼の手紙すべてに目を通してくれたのであろう、判決では彼の生い立ちや反省を十分考慮に入れた量刑であった。彼の思いが裁判所に伝わってほっとした。

 子ども時代は、生きていく土台となる自己をつくっていく大切な時期だ。虐待、不適切な養育、いじめなどによる心の傷は、適切なケアがされないとやがて心の荒廃、つまり「自分なんかどうでもいい人間だ」という感情を生み、依存症・自傷行為・摂食障害・抑うつ症状・攻撃性など将来に重大な影響を及ぼすことがある。
 どの親も一生懸命「子どものため」を考えている。でも、親の一方的な「期待過剰の愛」や「体罰」が、「自分はかけがえのない存在だ」と思う自己肯定感を子どもから奪うケースは少なくない。
 子どもの権利条約12条は、子どもに影響がある事柄に関しては子どもが自由に意見を表明する権利があり、その意見は年齢・成熟度に従って尊重されると規定している。おとなが子どもを権力や暴力で支配するのではなく、子どもの自由な意見を十分聞いて受けとめた上で、自分の思いをゆっくり話し、一緒に考える。そういう姿勢を子どもに関わるすべてのおとなが持つことの大切さを子どもの権利条約は示している。
 人間は自分の意見・自分の存在が認められる経験を重ねて、自分で考える力をつけ自己肯定感を育み、自分も他人も大切にする、自立した人間に成長していくと思う。

 弁護士の仕事で出会う関係者には、アルコール依存症の人、ギャンブル依存症の人、買い物依存症の人、摂食障害の人、犯罪行為を繰り返す人、家族への暴力・暴言を繰り返す人など、ありとあらゆる問題を抱えた人がいる。本人あるいは家族が相談に来られても、以前の私は、法律問題以外はタッチできない、という対応しかできなかった。でも、「依存症」について学習することにより、その心理や背景を考え、当事者と一緒にサポートの方法を探したり回復の可能性に希望をもつことができるようになった。
 私は、自助グループは、エンパワメントの場、つまり、本来その人のもっている力を回復させることができる場だと思う。多種多様な依存症について自助グループができることを望んでいる。

 実は私にとって、彼の不安な気持ち、自信のなさは他人事ではなかった。ダルクとの出会いは、私自身の子ども時代を振り返るとき、親となった私と子どもとの関係を考えるとき、そして、私自身のエンパワメントの助けとなっている。

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