京都南法律事務所

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弁護士の “やましろ”探訪 〜古から現代へ〜

饅頭喰い

杉山 潔志
伏見人形「饅頭喰い」 ▲伏見人形「饅頭喰い」
 これまで、いくつもの離婚事件にかかわってきた。離婚事件では、子どもの親権者をどちらにするのかで激しく対立することが多い。親権の問題に関しては、双方が一歩も譲れないなどと主張して、離婚紛争が泥沼化することも珍しくない。
 離婚は夫婦が他人に戻る手続きであるが、夫婦が離婚しても、子どもにとって父親とも母親とも親子関係がなくなるわけではない。しかし、両親が離婚すれば、父母のどちらか一方を子どもの親権者とするほかない。
 離婚に際して、父親と母親のいずれを親権者とするかは、子どもの成長にとってどちらを親権者として養育監護を行うのがより適切であるかという観点から決められる。親の都合や親の親族の都合で親権者が決められるわけではないのである。
 親権者の決定に際して、子どもに父母のどちらが好きか、どちらと一緒に生活したいかを決めさせようという提案がなされることがある。このような提案は、子どもの意思を尊重しているかのようである。
 しかし、子どもが自己の最善の利益を認識できているとは限らない。小学生や中学生でも、父母のいずれに養育監護してもらうのが自己の最善の利益に合致するのかを判断することは困難であろうし、乳児や幼児であればなおさらである。また、子どもに父母のいずれかを親権者として選択させることは残酷なことを強いる結果となる場合も多い。
 仮に、親権者についての子どもの意思が表明されても、それは、父母のいずれを親権者とするのが適切であるかを判断する場合の1つの判断材料にすぎない。最終的には、子どもの利益を客観的に判断して決するほかない。
 ところで、伏見の名物に伏見稲荷大社の参道で売られている伏見人形がある。伏見稲荷大社にはいくつかの祭神が祭られているが、これらの祭神は農耕神との関係も深く、稲荷山の土を田畑に入れると豊作になると信じられてきた。古来より深草では神に供える「かわらけ」が作られていたが、稲荷山の土で作った大根や人参などの焼物を畑に入れて豊作の祈願がなされるようになったという。そして、元和年間(1615年~1623年)に伏見人形が作られるようになり、稲荷詣での土産物として参拝者の人気を博するようになって、文化・文政のころには、伏見街道に50余の窯元と十数件の人形店があったと伝えられている。
 その伏見人形に「饅頭喰い(まんじゅうくい)」がある。「饅頭喰い」は、子どもが両手に饅頭を一片ずつ持っている人形である。「父と母のどちらが好きか」と聞かれた子どもが、持っていた饅頭を2つに割って、「どっちがうまいか。」と尋ね返したという。その子どもが伏見人形になったとのことである。
 離婚事件で親権者争いに直面するたびに、また、争いが子どもの利益のためではなく親や「家」のために親権を争うという様相を呈してくると、「饅頭喰い」の話しが私の頭をよぎっていく。
2003年11月

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