京都南法律事務所

相談予約
075-604-2133

弁護士の “やましろ”探訪 〜古から現代へ〜

井手の玉川

杉山 潔志
 京都府綴喜郡井手町には玉川が流れている。玉川には、玉のように美しい清らかな流れの川という意味があり、日本はおよそ10の玉川と名づけられた川があるそうである。井手の玉川は、町の東にある山地に源を発し、山をV字形に削って木津川の河岸段丘を流れ天井川となって木津川に注いでいる。
 玉川の北側の河岸段丘には、井堤寺(井手寺)故址がある。井提寺は、奈良時代に、敏達天皇の5世孫で臣下に下り左大臣として権勢を誇った橘諸兄が山背国班田使に任命されたときに建立したと寺院で、広い境内に金堂や三重塔など七堂伽藍が立ち並んでいたという。付近には橘諸兄の別荘地があったようで、「橘諸兄公旧趾」の碑が建立されている。
 井提寺の東側には山背古道が通り、その一部(玉川にかかる橋本橋から玉津岡神社に向かう旧道)は椿坂名づけられている。現在の椿坂は田畑の中にあるが、古代の道端には椿が植えられていたのであろうか。平安時代中期に成立した「大和物語」には、朝廷の内舎人が大和の三輪に赴く途中に井手で少女を見初め「他の男を夫になさるな。大きくなったころに迎えに来るから。」と言って形見に帯を渡したという話しが収められている。井手町に伝わる「井手の下帯」という民話では、内舎人が再び大和に向かう途中で以前に増して美しくなった娘と椿坂で再会してめでたく結ばれたという。
 ところで、玉川の土手には山吹が植えられているが、橘諸兄が植えたのが始まりであると伝えられている。この山吹は、昭和28年の南山城水害で大きな被害を受け、その後の護岸工事によって姿を消してしまった。しかし、近年、地元の住民の努力で復元されている。玉川河畔には「井提茶 (ヤマブキ)故址」の碑がある。歌碑にもなっていて、新古今集に収められた藤原俊成の歌が刻まれている。

駒とめて猶水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川

 井手にはこの山吹とともに有名なものがある。それは、蛙(かわず)である。この蛙は、トノサマガエルやアマガエルではない。美しい音色で鳴く河鹿蛙(カジカガエル)のことである。山吹と蛙は、梅に鶯、竹に雀などという花鳥の組み合わせの1つで、昔から歌に歌われてきた。
 椿坂から北方の玉津岡神社に至る上井手の集落の参道の中に、小町塚がある。小野小町と井出との関係ははっきりとしたことはわかっていないが、「冷泉家記」によると、小町は井提寺にて69歳で没したとのことである。小町塚は、小野小町の墓で、小町の作といわれる歌が刻まれた石碑が設置されている。

色も香もなつかしきかな蛙なく井手の渡りの山吹の花

小町塚にたたずむと、色や香が衰えた小町が、玉川のほとりを散策している情景が浮かぶようである。
 さて、玉津岡神社への参道の石段を途中で西へ曲がると地蔵禅院がある。ここには、京都市内の円山公園の「しだれ桜」の兄弟木と伝えられる見事な「しだれ桜」がある。この「しだれ桜」は、京都府の天然記念物に指定されており、花見の季節には多くの花見客や愛好家が集まっている。古刹と「しだれ桜」のコントラスト、満開の枝越しに見られる木津川流域の風景は見事である。あでやかな枝ぶりの「しだれ桜」の下から艶美な小町があらわれてきそうな、そんな情緒がある。
 参道を登ったところにある玉津岡神社は、540年にこの地に降臨した下照比売命を祭ったのが起源と伝えられ、境内には橘諸兄を祭った橘神社もある。本殿は京都府登録文化財、鎮守の森は文化財環境保全地区に指定されている。この神社の手水舎には蛙がおり、その口から手水水が流れ出ており、本殿の軒下にも蛙の彫物が置かれているなど、蛙との関係が窺われる。
 玉川を遡って山間に入ると玉川のほとりに左馬公園がある。左馬公園には巨大な石があり、「左馬」と呼ばれる疾駆する馬が浮き彫り彫刻されている。この彫刻は鎌倉時代のものといわれ、もともと玉川左岸の山腹にあり、「駒岩」と言われ、裁縫、舞踊、茶、生け花などの女性の芸上達の守護神として神幸の対象とされ、また、「雨吹竜王」と称して雨乞い、雨止め祈願にも霊験あらたかであったという。この「駒岩」は昭和28年8月の南山城水害の際に玉川沿いに崩れ落ち、近年公園として整備されたのである。
 さらに玉川を遡ると有王山の麓に「後醍醐天皇御旧蹟」の碑がある。南北朝時代の元弘の役の際、落城した笠置山から脱出した御醍醐天皇が、山中をさまよって疲れてこの地でまどろんだときに、供の藤原藤房とかわした由来し、「松の下露跡」と呼ばれている。
 「松の下露跡」を少し遡ると、大正池がある。昭和28年の南山城水害の際に決壊して、下流に大きな被害を出したが、現在は、コンクリート堰堤の大きな池となっており、緑の山々に囲まれ池の周辺は公園やキャンプ場として整備されている。
 このような玉川沿いは、自然と旧蹟の豊かな地域であり、マラソンが趣味の私のランニングコースの1つになっており、年に何度か走りに行っている。
 玉川の山吹は、地域の人々の取り組みで現代によみがえったことは先に述べたとおりである。しかし、蛙は、昭和28年の水害以降、姿を消して久しい。地域の有志によって玉川で蛙の鳴声が聞かれるよう努力がなされているようであるが、復活の声は聞かれない。一度失われた自然を元に戻すことには大きな困難を伴うこと、自然と環境を守っていくことの大切さを玉川沿いのランニングコースは教えてくれている。
 京都南部の南山城地域でも、山間部に各種の廃棄物が違法投棄されている。2003年には、京田辺市の大住、水取地区で大量の硫酸ピッチ入りドラム缶の不法投棄が発見された。硫酸ピッチは重油と軽油を混ぜて作る不正軽油から硫酸を用いて不純物を除去する過程で発生する有害物質で、その不法投棄は全国的に社会問題化している。京田辺市での不法投棄者は逮捕され有罪判決を受け、京都府が代執行によって硫酸ピッチを処分した。国レベルでも規制の強化が図られているが、京都府は、2004年1月18日から3年間の時限立法として、硫酸ピッチの生成、保管を規制する硫酸ピッチ規制緊急措置条例を制定・施行した。生成中止・撤去・適正処分命令に違反した者に対しては、2年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられることになった。
 環境を破壊しようとする者は、玉川の蛙を思い起こすべきである。
2004年4月

ページトップへ戻る