京都南法律事務所

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弁護士の “やましろ”探訪 〜古から現代へ〜

明治の山吹山・駒留山争論

杉山 潔志
玉川左岸の山吹山連山 ▲ 玉川左岸の山吹山連山
〔江戸時代の木津川流域山地の土地利用〕
 江戸時代の井手村・多賀村(現井手町)の山麓部は個人の持林でしたが、奥山一帯は村全体の入会山として、下草や落葉が堆肥や飼料、燃料に、木立は薪炭や建築材に利用されていたことから、山の境界や利用権をめぐって多賀村と和束郷との鎌手米山境争論、田村新田と井手郷との立木伐採争論、田村新田と白栖村(現和束町)との立会山争論など多くの紛争が発生しました(井手町史第四集より)。
〔新御料足高(たしだか)山の設定〕
 徳川秀忠の娘東福門院和子(とうふくもんいんまさこ)が後水尾天皇に入内した際、化粧料として和束郷1万石が献じられましたが、不足分34石5斗2合にあてるため、井手村東方の綴喜・相楽両郡境付近の山地が足高山に指定され、周辺17郷村に16石5斗の山年貢と口米3斗3升の定納が命じられました。山年貢は明治維新後も納入されたそうです。(井手町史第五集より)。
府道和束井手線から見た山吹山 ▲ 府道和束井手線から見た山吹山
〔訴訟になった足高山を巡る争論〕
 明治5年(1872年)から、地租改正に備えて土地所有者に地券が交付されることになり、足高山の山年貢をとりまとめて納入してきた白栖村が京都府に地券交付を願い出ると、相楽郡瓶原郷9か村と法華寺村は入会使用部分の地券交付を願い出ました。これを契機に山年貢を負担してきた郷村も足高山の所有権や山年貢の直納を主張し、直納は京都府に認められ、井手村も地券交付を申請しました。
 和束郷14か村は、明治13年末、井手村を被告として宛山(他村に貸し渡した山)の引揚げを求めて京都裁判所に提訴し、井手村は大阪の寺村冨栄・毛利泰吉代言人を代理人として応訴しました(井手町史第五集より)。
〔井手村民の訴訟への取り組みと逆転勝訴判決〕
 京都裁判所は、明治14年6月30日、和束郷提出の地図にある境界を示す7大榜示が実地臨検で確認できず、山論の際の作成絵図も証拠とならないとし、他方、井手村提出の資料も井手町の所有権を証明できないと判断したものの、駒留山については井手村が白栖村に年貢を出していたとして引揚げを認める判決を言い渡しました。
山吹山・山頂 ▲ 山吹山・山頂
 井手村は、判決を不服とし、宮本弥次郎ら4名を村総代とし、大藤高敏代言人らに委任して控訴しました。控訴審の大阪控訴裁判所は、明治17年6月18日、現地調査の結果、和束郷の主張の7榜示内に官有地や他村の耕地・村落があると認定して地図の信用性を否定し、過去の検地帳などによって山吹山を禁裏新御料に属さない井手村所有地と認め、江戸前期の井手・飯岡ら綴喜5か村の年貢山が駒留山に該当し、田村新田が開発された際に肥草刈取権を取得したことで相楽郡に編入されたと推認し、原判決を取り消して井手村勝訴の判決を言い渡しました。和束郷が上告しましたが、大審院は、明治18年12月25日、上告棄却の判決を言い渡し、山吹山、駒留山に対する井手村の所有権、田村新田の駒留山に対する入会権を認める控訴審判決が確定しました(井手町史第五集より)。
宮本彌次郎正道翁顕彰碑 ▲ 宮本彌次郎正道翁顕彰碑
〔宮本彌次郎正道翁顕彰碑〕
 大審院判決は電報で井手村に伝えられ、村中が喜びで沸き返り、帰村した宮本弥次郎らは凱旋将軍のように歓迎されたそうです。しかし、足高山裁判は、大審院の審理のため東京に滞在していた弥次郎が出生間もない息子や母の死の際に帰郷できず、代言人費用や総代人らの旅費・滞在費などが村民割り当ての拠出となるなど村民に大きな負担となりました(井手町史第五集より)。
 井手町を流れる桜並木の玉川右岸に逆転勝訴判決を勝ち取るために献身した弥次郎をたたえた「宮本彌次郎正道翁顕彰碑」が建立されています。この顕彰碑は、明治前期に原野山林に対する入会権が村民の生活を支える大きな共同の財産であったことを物語っています。
〔訴訟代理人の沿革〕
 明治時代は、現在に続く民法や民事訴訟法が整備されていった時代です。明治政府は、明治4年、司法省を設置し、翌5年、司法省の下に裁判所を設け、判事・検事の職制を定め、現在の司法書士、弁護士の前身である代書人・代言人制度を創設しました。「盲聾無筆及び未成年者」以外に代言人の資格が認められたため、「三百代言」の弊害が生じ、明治9年、代言人を免許制とする代言人規則が公布されました。明治26年に制定された旧々弁護士法は、女性に弁護士資格を認めず、所属地方裁判所の検事正に弁護士監督権を認めました。昭和8年、旧々弁護士法が改正され、女性の弁護士資格が認められましたが、監督権が検事正から司法大臣に移され弁護士自治は否定されました。昭和24年の旧弁護士法の改正により、やっと弁護士会の自治懲戒制度が認められました(東弁今昔物語より)。
 宮本彌次郎正道翁顕彰碑の前に立つと、司法制度の揺籃期で民法や民事訴訟法が未成立の中で行われた村をあげての裁判の取り組みの労苦が偲ばれます。

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  • 宮本彌次郎正道翁顕彰碑(裏面)▲ 宮本彌次郎正道翁顕彰碑(裏面)
  • 有王地区から見た駒留山方面▲ 有王地区から見た駒留山方面
2026年10月

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